2009年2月2日月曜日

仲道郁代ピアノリサイタル

 昨日鹿屋市文化会館で開かれたリサイタルに行く。クラッシックのコンサートは久しぶりである。
仲道さんは、テレビで時々見掛ける私にとっては有名人の一人である。一度生で聴きたかった演奏家の一人である。しかも、モーツァルトのピアノソナタ8番イ短調が聴けるではないか。もうそれだけで満足である。このピアノソナタは、私の携帯音楽プレーヤーにあるクラッシックファイルの最初にある曲である。My favoriteNO.1の曲なのである。まだ、大学生だった20年以上前、バイト代をほとんどクラッシックとジャズのCDにつぎ込んでいた。内田光子の演奏するこの8番を初めて聴いて一度で気に入ったことを覚えている。それ以来、車の中でよく聴いていた。あれから20有余年、初めて生演奏を聴くことが出来たのである。記念日として手帳に記すことにする。
 ふつうのクラッシックコンサートでは、演奏家はただ演奏を披露するだけで、曲目のアナウンスもないことが多い。しかし、今回は、仲道さんの曲紹介付きであり、その点でもとても満足行った。モーツァルトの時代の音楽は、今で言うBGMであり、聞き手である貴族がパーティを催すときその場の雰囲気を盛り上げるための飾りでしかなかった。よって、長調の曲がほとんどであり、モーツァルトもその例に漏れない。であるから、この8番は例外的な短調の曲なのである。仲道さんの解説により、なぜモーツァルトが短調のこの曲を作ったのかが分かった。この曲を作った直前、一緒に旅行をしていた母親が、旅先のパリで亡くなったのである。つまり、モーツァルトは、「飾りとしての音楽」ではなく、「作曲家の感情(疾走する悲しみ)」を表現したこの曲を生み出したのである。この8番が「ロマン派への予告」としての音楽とも言われる所以である。
 2~4曲目は、ラフマニノフの前奏曲より3曲。ラフマニノフはその、「蜘蛛手」と言われる、大きく尚且つ柔軟性に富んだ手を十分に生かすような、超絶技巧のピアノ曲を作った。彼のような手を持っていない演奏家にとって彼の作品は非常に難しい。しかし、現代の演奏家は、それを弾きこなすのだからたいしたものである。
 5曲目は、スクリャーピンのピアノソナタ5番。初めての曲である。スクリャーピンは、ラフマニノフと同時代のロシアの作曲家である。特異な才能の持ち主で、音を聞くとその色が見えるそうである。聴覚・嗅覚・視覚を司る脳の構成が一般の人とは違っていたらしい。その特異性が曲にも表れていた。(ここまでが第1部)
 第2部は、オールショパンのプログラム
 6・7曲は、練習曲集から12番「革命」と3番「別れの曲」。どちらも有名な曲である。ちなみに、「革命」や「別れの曲」等の別名は、ショパンがつけたものではなく、ショパンの死後、関係者がつけたもので、ショパン自身はこのような「副題」をつけるのが嫌いだったらしい。
 最後に「24の前奏曲集」
 「24」というのは、ハ長調などの調性が24あり、そのすべての調性を網羅するという数である。
私の好きなテレビ番組の一つに「名曲探偵アマデウス」というものがある。毎回1つのクラッシック曲をとりあげ、その謎を解き明かすというもので、この24の前奏曲集も取り上げられていた。なんとその回の演奏家が仲道さんだった。仲道さんの解説・この番組のおかげで、この曲への愛着度が深まった気がする。なんともいい一日であった。
 
 

0 件のコメント: