2009年11月22日日曜日

環境・国際交流フェア②

全国的にメジャーになりつつある、科学パフォーマーの「らんま先生」のショー。娘もショーに参加し、楽しい45分間だった。らんま先生は、10年間教師を務めた後、5年前、パフォーマーとしてデビューした。尚、このショーの後、新聞記者にインタビューを受ける。明日の新聞に掲載されるのだろうか。
国際交流フェアの国際料理ブースから、①ブラジル料理牛の串焼き
②インド料理 キーマカレー&ライス


③キーマカレー&ナン



安全ピンとビーズを使った国旗や動物のアクセサリー作り。
1月並みの寒さだったが、とても楽しい一日だった。



鹿児島環境フェア&国際交流フェア①

県民交流センターで開かれた、環境フェアに行ってみた。
風力発電機500W80万円

鹿児島市電の軌道敷に使われている芝の土台に知らす利用のブロックが使用されている。1枚のプレートが約2リットルの水を保水できる。


生花を特殊な液に浸けて、長期間新鮮な姿を保ち続けることができる、「プリザーブドフラワー」の自作アレンジ



無料のくじで、なんとペットボトルを再生したネクタイが当たった。




2009年11月21日土曜日

懇親会

一次会しのぶ2階の後、二次会はいつものアバウト 松崎、T氏 K氏参加。

毎度おなじみ、「蜂蜜トースト」

T氏のお薦め、焼きバナナクリームも美味であった。)いつもより早い9:00終了。これもインフルエンザの影響大。みなさんご自愛ください。


モア例会③

その後、T氏、K氏が参加し、2月、イベントの案内状発送作業を行う。5:30終了。

モア例会②

続いて松崎の報告
①かけ算九九指導。石田式九九指導を使うことで、居残し、昼休みなどの課外授業を全く行うことなく、授業の中だけで、クラス全員に九九を暗唱させることができた。
②NPO法人設立についての提案・・松崎は、現在のモアやジエイタイでの活動をNPO法人化できないかと考え、具体的な動きを起こしている。設立の条件はただ一つ、人を10名集めること。そのほかは、コストはほとんどかからない。法人化することによるメリットも多いと考えている。もう少し詳しい話を次回の例会で行いたい。是非、みなさんにも参加してほしい。

モア例会

参加者、松崎 H氏 O氏の3名。新型インフルエンザの影響で参加できないメンバーもいた。
最初はH氏の学級指導案。「捨てる技術」の著者辰巳渚氏の講演を元に作ったもの。
最初、「どのにあるでしょうゲーム」をする。
①二人組で、質問する者と、答える者を決める。
②質問する者は、画面のから1つ選び、答える者に質問する。答える者は、画面を見ない。
③答える者は、質問された物が、家のどこにあるか具体的に答える。(家のリビングの棚の2番目の引き出し)
④10秒以内に答え始められれば、答える物の勝ち、そうでなければ質問する方の勝ち。
ねらい、自分の持ち物の置き場がどこにあるのか知っているかどうかを確かめさせる。

その後、かたづけの大切さをまとめる。

具体的な片付け方を教える。


最後に、もう一度ゲームに使った画面を出し、それぞれの置き場所が決まっていなかったら、決めるように指導する。
報告の後の話し合いで、
①H氏から、このような具体的な指導をしたことがPTAでのネタとなる。
②松崎から、 物の置き場所を決めるのは、子供だけでは無理があるので、宿題として家族で話し合うようにすれば、PTAでの話題としてもっと効果的ではないか。
③O氏から、このような片付け指導は、ダスキンのHPの中にもある。

http://www.duskin.co.jp/torikumi/gakko/curriculum/okataduke/kataduke.html
上記サイトから、45分間の片付け(机の中、教室)の指導例が、パワーポイントのスライド並びに、子供用ワークシートのデータがダウンロードできる。

緑のカーテンの実践報告もあった。




2009年11月16日月曜日

中世の山城講座

11/15(日)鹿児島国際大学において、「中世の山城」セミナーが開かれた。最初、講師の鹿児島短期大学名誉教授の三木靖先生の講演。

次に、展示室に移動し、鹿児島の中世山城についての、説明を聞く。


谷山城


慈眼寺公園近くにある谷山城。記録によると、1203年、谷山信忠(のぶただ)が郡司職に任命されて以来、200年間近く谷山氏の根城となる。千々輪城、愛宕城とも呼ばれている。

本丸後には、愛宕神社がある。


本丸からの風景。この見える範囲はすべて、ある時期谷山氏の管理下にあった。



小田城

最後の目的地小田城。鹿児島インター近くにある。(田上地区)
山林の中にある、本丸目指して進む。

本丸は、約2a程度。あまり広くない。この城の城主は記録になく、多分、城下の村人専用の城ではなかったのか。よって、他村の者には、その存在を悟られないように、うっそうと茂る森の中に作ってあった城であった。建物のもあったらしい。


2009年11月14日土曜日

下鶴遺跡①

鹿児島国際大学生涯学習センター特設講座「遺跡と博物館の魅力を訪ねる」第5回。今回のツアー先は、伊佐地区である。最初に訪れたのが、下鶴遺跡である。この遺跡は、香月川流域の激特事業に伴って現在発掘調査進行中のものである。縦700m横100m 40000平方メートルの広大な現場では、現在約80名のスタッフが関わっている。縄文~江戸時代までほぼすべての時代の遺物・遺構が約1万6千点ほど発見されている。
土器類は、ほとんどが破片として発見されるが、中には、形をとどめたまま発見されるものもある。写真は弥生時代のもの。

弥生時代の遺構。ここからは、青銅製の武器の刃が、発見された。鹿児島初とのこと。この遺構の目的ははっきりしないが、ガイド役、埋蔵文化センターの黒木さんによると、「子供用の墓ではないか」とこのこと。遺構(墓)の軸が高千穂の峰に向いているというのも、何か意味があるのではないかと言っていた。


土器が、ほぼ原型のまま出土している。これから、掘り出すのだという。



下鶴遺跡②

遺跡からの出土品を見せてもらった。
古銭

青銅製の武器の一部。鹿児島では初めての出土らしい。


縄文時代の土器



発掘体験

この日のメインイベント、発掘体験。参加前は、まあまねごと程度で、何も出てこないだろうと思っていたが、写真の道具を使って、ちょっと掘ってみると・・・
いきなり、土器の破片が出てきた。弥生時代のものか。

結構大きな黒曜石の破片も出てきた。黒曜石は、周りの土と区別がつきにくいので、袋に入れて現地保存する。


中には、矢尻を発見する人もいた。この日最大の収穫。



1時間ほどの作業でこれだけ出てきた。




大住(うずん)古墳群

大住古墳群。大住と書いて、「うずん」と読む。古墳時代の墓らしい。


30基近くの墓が見つかっている。多分、身分の低い人たちの共同墓地であろう。


墓は、地下式板石積石室墓(ちかしきいたいしづみせきしつぼ)と呼ばれるものである。



地面を掘り、底辺部の壁に沿わせて、石を立てて並べる。その上に、鱗状にうすくした板を水平に並べて石室の壁とする。屈葬した。川内川流域には、この形式の墓が数十~数百基の単位で見つかっている。近畿地方発祥の前方後円墳とは、明らかに形式を異にするこの墳墓は、南九州独特の形式で、
隼人族がいたことの証拠とされている。




曽木発電所遺構

例年なら、この季節は、このような風景が見えるはずだったのだが。
降雨不足のため、このように全景を見ることができた。曽木発電所は、明治40年。野口遵(のぐちしたがう)が、曽木の滝の落差に注目し、建設した。写真は、明治42年に完成した第2発電所。

曽木の滝

曽木の滝を眺めながらの昼食
紅葉がピークであった。


曽木発電所を作り、旭化成の創設者野口遵(のぐちしたがう)の案内板もあった。