2008年11月30日日曜日

幕末維新講座②


幕末維新講座2回目は、薩摩の外交史について
話は、戦国時代の鉄砲伝来から始まった。
1543年の鉄砲伝来と、1549年のザビエル来鹿について、これまで単にポルトガルのアジア進出の結果ぐらいにしかその関連性を考えていなかったのだが、今回の講座で、この2つの出来事が非常に密接な関係を持っていたことを知ることが出来た。
鉄砲は、種子島に漂着した和冦の頭目である王直(おうちょく・・中国人)が船頭を務めるジャンク船に同乗していた3人のポルトガル人によってもたらされたというのは、多くの人が知ることである。しかし、次の年、ポルトガルと鹿児島の間で貿易が開始されたという事実を知っていただろうか。山川や根占がその寄港地だったようだ。その交易船の船長の一人であるジョルジュ=アルヴァレスは、鹿児島に関する報告書を作成する。その報告書を薩摩人ヤジローとともに、当時インドのゴアに滞在中のザビエルに送るのである。その報告書を見たザビエルは、鹿児島行きを決意する。そして、1549年ヤジローを案内人として鹿児島に上陸するのである。であるから、鉄砲伝来に関するポルトガル人の種子島漂着は或る程度偶然だとしても、ザビエルの鹿児島上陸は、最初から意図されたものだったといえる。
ちなみに、このときザビエルが対面した当時の薩摩の領主は、島津貴久であった。通訳のヤジローがキリスト教を「大日如来教」と訳したのを聞いた貴久は、キリスト教を新しい仏教の一派と思い、布教を許したという話がある。また、当時、島津の家紋は、「丸に十の字」ではなく、ただの十の字であった。貴久の着衣にあったその家紋を見たザビエルは、十の字をクロス(十字架の印)と思い、「薩摩の殿様はキリスト教を信じているらしい」と報告書を送ったとも言われている。
 このような話が2時間続き、とても充実した講演会であった。

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