2008年10月11日土曜日

黎明館講演会

午後2時からは、黎明館2階講堂において講演会に出席

考古学者松井章先生による「出土品からみた、薩摩藩の動物利用」

というテーマの講演。

講師紹介時、主催者の挨拶の中でのべられた

「考古学というと、何か石器時代などのきわめて古い時代のみを対象とした学問のように思われがちだが、考古学が対象とするのは、すべての時代である。第2次大戦を対象とした「戦跡考古学」というものもあるくらいだ。」

という部分が印象的だった。

薩摩藩の動物利用は、大きく分けて次の3つの内容である。

①馬の利用

②骨粉による農業改革

③動物祭祀

①馬の利用であるが、いうまでもなく、列車や自動車等が発明されるまでは、馬が主たる交通手段であった。もちろん、軍事的にも重要であった。時代劇等を見慣れている現代人が陥りがちな誤りの一つに、馬がある。我々がドラマなどで目にする馬は、すべてアラブ産のサラブレッドである。体高160㎝~180㎝の大型馬である。実は、日本の在来種(トカラ馬、道産子など)は、体高せいぜい130㎝程度のものだった。いわゆる「ポニー」である。もし、史実通りにドラマなどを描くとしたら、騎馬武者などのイメージは大きく変わるであろう。

②骨粉の利用は、農業改革、いや農業革命といってもいいくらいの大変革だった。江戸時代薩摩藩出身の仲覚兵衛は、大阪で商用を営んでいた。ある時、路傍の草原の中で一部だけ異常に繁殖している部分を見つけ、その部分に近寄ってみると、骨片を発見した。「牛馬の骨が、肥料になるのでは、」そう直感した覚兵衛は、郷里鹿児島の友人に骨粉を使った栽培実験を進言する。覚兵衛の予想通り、実験は大成功。骨粉の農業利用がそこから始まった。特に商品作物として換金性の高い、菜種の栽培が盛んになり、薩摩藩の財政を潤すことになる。シラス台地は、保水性に乏しく、人糞などの水溶性の肥料は全く役に立たない。骨粉は固形である。長い間地中に留めることができる。最初九州内の骨粉を扱っていたが、それでは足りなくなり、大阪を中心とする近畿一円の牛馬骨(山建)、鯨の骨(海建)を買いあさった。それでも足りなくなり、最終的には、朝鮮半島までその取引を広げていった。その関係で、中世までの遺構には、結構見られる牛馬の骨が、近世以降のそれには、ほとんど見られないらしい。

③は、省略

講演では、テーマ以外にオフレコの発表もあり、そちらも大変興味深かった。

ここに書きたいところであるが、デリケートな内容を含んでいるので、やめておく。

私に直接会うことができ、尚かつこの問題に興味がある方にお話しすることにする。

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