2008年10月30日木曜日
簡単タコライス
①ミートソース(市販のもの)
②タマネギみじん切り
③ベーコン
④とろけるスライスチーズ
⑤ふつうのスライスチーズ
⑥トマト
⑦レタス
⑧ご飯
⑨パン粉
⑩粉チーズ
(2)作り方
①ミートソースにタマネギのみじん切りと適当に切ったベーコン(ソーセージでも可)を混ぜ、炒める。
(タマネギに火が通るまで)
②耐熱容器にご飯を入れる。
③②の上に①をかける。
④とろけるチーズとふつうのスライスチーズを③の上にかぶせ、粉チーズ、パン粉を適当に散らす。
⑤④をオーブントースターで焼く。(チーズが溶けて、焦げ目が付くぐらい)
⑥適当に切ったトマトとレタスを⑤の上にのせる。
⑦食べるときは、すべて混ぜ合わせて食べる。
*大人用には、①にチリパウダーを入れるとよい。また、テフロン加工のフライパンに適当に切ったピザ用チーズを入れて焼き、チーズせんべいを作って入れると、さくさくとした食感がうまみを増す。(今回は入れなかった。)
職場の同僚に教えてもらったレシピ。子ども達にも大好評であった。松崎家の定番メニューにまた新しい一品が加わった。
2008年10月27日月曜日
英語研修会
講師は、松澤氏 以前何度かジエイタイにも参加したことがある。参加者18名
2008年10月26日日曜日
2008年10月25日土曜日
文章講座
講師は館長の立石さん。参加に際して、講座日1週間前までにテーマに沿ったエッセイを提出する。今回のテーマは「私の好きな本、作家」
参加者は、約10名。6月の第1回は、20名近く参加があったのだが、回を追うごとに参加者が減少する。これは、どのような会にでもいえることである。それだけに、今回まで残っているメンバーは、みな熱心である。中には90歳を過ぎた方や、著名な作家を知っている方もいらっしゃる。
今回の講座開始早々、講師の口から「今回のできはとてもよかったですよ。」というのもこれまで残ってきたメンバーの本気さ故であろう。
最初に、参加者各自の課題エッセイについて講師からコメントをいただく。最初に紹介されたのが私のものであった。(後ほどエッセイ全文を載せる)
次に、文章上達のための基本練習をする。今回は「オノマトペ」を使った文章作り。参考として宮沢賢治の文章を読んだ。その後、自分で短い文章を書いてみる。三島由紀夫は「文章が下品になる」と言って、オノマトペが嫌っていたらしい。三島は鴎外を尊敬していたようで、 「鴎外は、オノマトペなど使ったことがない。」と言っていたようであるが、それは、間違いのようだ。
講座の中で勉強になったトリビアを思いつくまま記す。
①お椀・・木製 お碗・・陶器製
②千切り(繊切り)・・線切りは間違い。
③オノマトペ・・擬声語はカタカナ 擬態語はひらがなで表記するように指導していると言うと、
そんな決まりはないとのこと。
我々の指導していることで一般社会では通用しないことが結構あるものだ。
私のエッセイ 「マルクスその可能性の中心」(柄谷行人)
大学入学と同時に選んだ、ある教育系のサークル。そこでは、学生が小学生を対象とした「子供会」を運営していた。「地域に根ざした自主的・民主的子供会」作りを究極的目標に掲げる活動が、将来教師になろうとしていた私にとってとても魅力的だった。実際のサークル活動は、「実践」と呼ばれる子供会運営と、その「理論」学習とで成り立っていた。民青に所属する先輩から授かったその理論は、「マカレンコ」という人物のものだった。マカレンコはソビエト集団主義教育の指導的人物である。マカレンコを通じて、マルクス主義思想の洗礼をも受けた。
こうして、「理論」学習と「実践」に明け暮れる日々が始まった。もちろん、「実践」は、「理論」通り進むはずがなかった。当時は、その原因を自分の力不足、つまり、理論理解の浅薄さまたは、実践力の脆弱さからくるものだと考えていた。理論そのものへの疑いは少しも持っていなかった。
その後の社会主義体制崩壊によって、徐々にマカレンコ理論、並びにその土台であるマルクス主義への疑いを持つようになった。そして、ついに、「マルクス主義は、現実に対応する理論たり得ない」と確信させる出来事も起こる。マルクスを特集するテレビ番組が放送されたのだ。マルクス主義はそのとき古典となった。
そんなときある本の前で足を止めた。「マルクスその可能性の中心」という題名を見て、「今さら『マルクス』の『可能性』も無いだろう」という第一印象だったが、著者名に引っかかった。「珍しい名前だな。『からたにいくひと』だろうか」本を手にし、名前を確かめる。この日、柄谷行人(からたにこうじん)の名と、裏表紙にある、「マルクス主義の終焉において、われわれは初めてマルクスを読みうる時代に入った」という紹介文に「かっこよさ」を感じ、この本を読まずにはいられなくなった。その内容はまさに、「逆転の発想」、いやむしろ「発送の逆転」に満ちていた。特にその「価値形態論」の部分には圧倒された。「使用価値が異なるものに『共通する価値』を見いだした結果
人類が生み出したものが『貨幣』なのではなく、『貨幣』がそのような『共通する価値』があるかのごとく思わせている」のであり、それは、あたかも全く「違う」「個人」が、神の元において初めて、「同じ」「人間」として存在しているがごとくである。柄谷によれば、このようなイデアとしての価値、意味、本質がアプリオリに存在することを前提に考えること自体、「形而上学」的として批判される。彼はそれをマルクスの著作から読み取ってみせる。この読みに従えば、マルクス「主義」は、マルクスの「思想」とは「全く逆」のものとなる。「なるほど、この読みは『マルクス主義の終焉』した今だからこそ可能なものだ」
題名の意味をそのとき初めて理解した。
この柄谷「体験」によって、読書そのものの楽しみを知った。それまで考えてみたことのないことを考え、やったことのない方法で思考できた。それは見知らぬ土地を旅しているかのようであった。
柄谷作品は、私の世界観にも少なからず影響を与え続けている。柄谷は、「この世には『本来あるべき価値』が存在し、それは人類が『共通して』持っているものである。よって我々は、その価値を共有すべく努力すれば、必ず分かり合えるものだ」という考えを否定する。「他者の他者性」の自覚である。私とあなたとの間には、底なしの溝が存在する。といったイメージを想起させるこの考えは、一見絶望的であるが、私には一条の光であった。こちらがどれだけ正しいと考えることでも、「分からないやつには分からない」のだ。そう考えた瞬間、心が解放された気がした。分かってもらえないのは、こちら間違っているからでも、相手がだめなのでもない。そもそも誰もが皆「正しい」と考える「共通の価値」など、幻想でしかないのだから。
元来「冷めている」ため、「熱く」語ることが苦手な私の「後ろめたさ」をこの作品は少し軽減してくれた。「現代消費社会の中で、その日その日を漫然と浮遊しながら生きていくものいいのだ」柄谷はこう語りかけているようだ。ニヒリスティックな笑いを浮かべつつ。
(講師評・・柄谷行人は、古今東西の多くの本を読んでいる気鋭の評論家です。私はあまり好きではないタイプですが、中上健次と仲がよかったので(柄谷が)一時期読んだことがありました。)
2008年10月24日金曜日
里芋コロッケ
小さいもの2袋である。「小さいやつは、そのままゆでて食べるといいよ。」母のアドバイスのもと
レンジでチンしたり、ゆでたりして、食べてみた。何もつけなくてもおいしい。しかし、大量である。
そこで、コロッケを作ることにした。レシピをネットで探す。いくつかある中から、ちょっと変わっていておいしそうなのを見つけた。中身が里芋とベーコンを使うこと、マヨネーズを混ぜ込むことがちょっと変わっておいしそうと思ったポイントだ。レシピを見ながら作ってみる。 http://yukapiki.blog8.fc2.com/blog-entry-245.html(里芋コロッケレシピ)
コロッケはこれまで苦手だった。衣をつけるのがどうもうまくいかず、あげている間に割れてしまうことが多かったからだ。しかし、ここでまた救世主ガッテン様の登場である。ふつうフライの衣といえば、
小麦粉→溶き卵→パン粉というて順であるが、ガッテン方式では、「バッター液」を使う。(上写真)
小麦粉200g卵2個牛乳200ccを混ぜるだけである。このバッター液をつけてパン粉をつければ後は揚げるだけである。このバッター液は、手間が省けるだけでなく、衣がしっかり付く、よって、コロッケの整形が容易になり、私としては、これまでになく形よく、しっかりとしたコロッケを作ることができた。
揚げ方もガッテン方式を使う。180度の油で1分揚げ、1分おいておく、その後また1分揚げる。これでしっかり火が通っている。食べてみると、里芋のねっとりした感じが何ともいえず美味である。また、
バッター液の効果だろうか、冷めてもおいしいのである。ピアノ教室から帰ってきた子どもたちも「おいしい」言って食べてくれた。(写真はコロッケと付け合わせてのスパゲティサラダ)
2008年10月21日火曜日
黛まどか講演会(杉田久女の魅力)
2008年10月20日月曜日
NOVAレッスン
1レッスン目は、日本人には難しい
①LとR
②HとF
③SとTH
④ZとTH
⑤VとB
などの聞き分けとのポイントをふまえた発音の練習
次にゲーム"The Red lorry store"(レッドローリーストア)
①2~3人のチームを作る。
②1人目が2人目に、"Could you stop by Red lorry ,and get some lemons?"と頼む。
レッドローリーストアによってレモンをいくつか買ってきて
②2人目が3人目に(2人組の場合は1人目に)
"Could you stop by Red lorry, and get some lemons,some rice?
レッドローリーストアによってレモンと米を買ってきて
③同様に買うものをどんどん増やしていく。ただ、買うものは、LがつくものとRがつくものを交互に出さなければならない。
④一定時間内に多くのものをいうことができたチームが勝ち。
2時間目も1時間目の継続だったが、1時間目の発音に加え
①ストレス
②ブレンド(単語を続けて読んで発音が変わる。例 check it upは、チェック イット アップではなくて
チェッキドアップのように発音する)
にも注意して発音する練習 次の例文を使う
Have you seen that new cereal ad? I can't believe the stuff that they are allowed to get away with... there's no way that one bowl of cereal can give you all your vitamins... it's got to e really
exaggerated.
(新しいシリアルの宣伝見たことある?これだけ食べてればいいというのは信じられない。このシリアル1杯で全部のビタミンがとれるなんでできるわけない。ほんとに誇大広告だな。)
この文章の中をブレンドやストレスやbとVなどの発音ポイントの単語に注意しながら何度も読む練習をする。
10/19カーディーラー巡り
産業道路沿いのカーディーラーを巡ることにする。
まず、新栄町のホンダカーズへ。早速ステップワゴンをチェックする。
大きなチェックポイントが、3列目への乗り込み。今乗っているステップは、2列目の1つのシートが補助席タイプになっている。よって、ふつうは補助席がしまってあるので、3列目にはそのまま乗り込むことができる。いろいろなVanタイプの車を見てきたが、このようにスムーズに乗り込むことができるのは、このステップワゴンだけである。
しかし、現行のステップワゴンから、そのシート方式は採用されなくなったそうだ。よって、3列目に行くためには、2列目のシートを動かす必要が出てきた。これショック。この機能がついていれば、次もステップという可能性が大いに高まっただけに残念。エリシオンや新型オデッセイも見たが、これらは
見ただけ。
10/19パワーポイントで作る紙芝居講座に参加
参加者のほとんどがパワポ初体験のため、基本的な機能を中心とした講座となった。
が、いくつか初めて知った機能もあった。
①スライドマスター・・すべてのスライドの書式を統一したい場合などスライドマスターを設定すればよい。「表示→マスター→スライドマスター」
②画像の貼り付けをスムーズにする・・画像の貼り付けをするとき、画像がスムーズに動かず思う位置に貼り付けられない場合がある。その場合はALTキーを押しながらマウス操作すると、スムーズに動く
この機能は、パワポだけでなく他のオフィスソフトでも使える。
③画像とテキストなど別々に貼り付けたオブジェクトのアニメーション設定を同じにしたい場合、別々のオブジェクトを「グループ化」するとよい。
・グループ化したいオブジェクトの1つを選ぶ
・シフトキーを押しながらもう一つのオブジェクトを選ぶ
・「図形の調整」(画面右下)をクリック
・グループ化選択
これで、アニメーションを一括設定できる。
④パワポが入っていないパソコンでプレゼンテーションをする場合
・オープンオフィスをUSBメモリーに入れておく。
・CDを作成する。(「ファイル→プレゼンテーションパック→CD作成」)
⑤サウンド付きプレゼンテーションの作成
・挿入→ビデオとサウンド→音楽が入ったファイルを指定
・サウンドオプションで詳細設定する(音楽を最初から最後まで流したい場合の設定など)
サンエール鹿児島4Fパソコン演習室 参加者約30人ほど
2008年10月19日日曜日
サークルモア学習会
サツマイズムの根元を探る
朝10時から鹿児島市天文館のメガネのヨネザワビル3階にて、コミュニティスクール研究会が開催される。講師は島津義秀氏、時折自顕流の使い手、または薩摩琵琶奏者としてテレビに登場していたので、鹿児島の話が聞けることを期待して参加。数十人の聴講者の前で行われる講演会とばかり思って望んだところ、参加者は講師も含めて7名。少し遅れていったら、聴講者が自己紹介をしていた。
2008年10月14日火曜日
2008年10月12日日曜日
2008年10月11日土曜日
黎明館講演会
午後2時からは、黎明館2階講堂において講演会に出席
考古学者松井章先生による「出土品からみた、薩摩藩の動物利用」
というテーマの講演。
講師紹介時、主催者の挨拶の中でのべられた
「考古学というと、何か石器時代などのきわめて古い時代のみを対象とした学問のように思われがちだが、考古学が対象とするのは、すべての時代である。第2次大戦を対象とした「戦跡考古学」というものもあるくらいだ。」
という部分が印象的だった。
薩摩藩の動物利用は、大きく分けて次の3つの内容である。
①馬の利用
②骨粉による農業改革
③動物祭祀
①馬の利用であるが、いうまでもなく、列車や自動車等が発明されるまでは、馬が主たる交通手段であった。もちろん、軍事的にも重要であった。時代劇等を見慣れている現代人が陥りがちな誤りの一つに、馬がある。我々がドラマなどで目にする馬は、すべてアラブ産のサラブレッドである。体高160㎝~180㎝の大型馬である。実は、日本の在来種(トカラ馬、道産子など)は、体高せいぜい130㎝程度のものだった。いわゆる「ポニー」である。もし、史実通りにドラマなどを描くとしたら、騎馬武者などのイメージは大きく変わるであろう。
②骨粉の利用は、農業改革、いや農業革命といってもいいくらいの大変革だった。江戸時代薩摩藩出身の仲覚兵衛は、大阪で商用を営んでいた。ある時、路傍の草原の中で一部だけ異常に繁殖している部分を見つけ、その部分に近寄ってみると、骨片を発見した。「牛馬の骨が、肥料になるのでは、」そう直感した覚兵衛は、郷里鹿児島の友人に骨粉を使った栽培実験を進言する。覚兵衛の予想通り、実験は大成功。骨粉の農業利用がそこから始まった。特に商品作物として換金性の高い、菜種の栽培が盛んになり、薩摩藩の財政を潤すことになる。シラス台地は、保水性に乏しく、人糞などの水溶性の肥料は全く役に立たない。骨粉は固形である。長い間地中に留めることができる。最初九州内の骨粉を扱っていたが、それでは足りなくなり、大阪を中心とする近畿一円の牛馬骨(山建)、鯨の骨(海建)を買いあさった。それでも足りなくなり、最終的には、朝鮮半島までその取引を広げていった。その関係で、中世までの遺構には、結構見られる牛馬の骨が、近世以降のそれには、ほとんど見られないらしい。
③は、省略
講演では、テーマ以外にオフレコの発表もあり、そちらも大変興味深かった。
ここに書きたいところであるが、デリケートな内容を含んでいるので、やめておく。
私に直接会うことができ、尚かつこの問題に興味がある方にお話しすることにする。
照国講演会
毎月第2土曜日照国神社で開かれる「照国講演会」
今年は、「照国公」こと、島津斉彬没後150年ということで
斉彬公にちなんだ講演会になっている。
今回のテーマは、「将軍継嗣問題と斉彬公」。
ここでいう将軍継嗣問題とは、篤姫の夫家定の次期将軍を
誰にするかということで、幕府を2分した争いになった問題をいう
斉彬は、老中阿部正弘、水戸藩水戸斉昭とともに、一橋慶喜を推す
対する紀州派は、井伊直弼を筆頭に紀伊藩徳川慶福(よしとみ)擁立を目論む
この問題に斉彬がどのような経緯をたどって深く関わっていくのか
というのが講演会の内容である。
講師は、安田山彦氏
肩書きは、「日本近世・近代史研究家」とある。
日通退社後、独自に研究している方である。
さて、内容であるが、
あまり予備知識のない私にとっては、
少々難しかった。
よって、部分的に理解できたところを思いつくままに記すことにする。
①斉彬は、その人柄・人脈をもって、当時の諸侯の中で中心的人物であった。
②水戸斉昭と斉彬は、当時の日本の状況を危機的なものと認識している点で共通した問題意識を持っていた。(大塩平八郎の乱などの内憂、アヘン戦争などの外患)
③老中阿部正弘と斉昭・斉彬は、協調してこの難局を乗り切ろうとした。幕政改革を実施しようとした。
④そのような動きに対抗してきたのが、井伊直弼を筆頭とする紀州派であった。
⑤井伊は、幕府以外の外様大名に幕府運営の主導権を奪われるのをおそれた。阿部への個人的恨みもあったようだ。
⑥将軍継嗣問題は、このような阿部・斉昭・斉彬派と、紀州派とのいわゆる「政争の具」であった。
⑦結果は、阿部の死、井伊の大老就任後紀伊派の勝利となる。
⑧ちなみに、大河ドラマでは、篤姫の入輿が将軍継嗣工作の一環として行われたように描かれているが、これは、間違いである。篤姫と家定の婚礼は、将軍家からの申し出があったからであり、斉彬は、それに従っただけである。もちろん、入輿後、篤姫に「次期将軍を慶喜にするように家定に働きかける」要請があったのは、事実である。しかし、当時の大奥は、大半が紀州派であり、なかなかそのような働きかけがしにくかったようである。
2008年10月7日火曜日
小旅行
参加予定の講演会・イベント
②10/11 午後12時30分~17時 隼人文化研究会(黎明館)
③10/18 午前10時~12時「サツマイズムの根本を探る~郷土の先人達の知恵に学ぶ~」(鹿児島市のNPO法人ネイチャリングプロジェクト事務局・・天文館アーケードめがねのヨネザワビル3階)
④10/21 午後18時30分~20時 黛まどか講演会「杉田久女の魅力」(市民文化ホール第2)
2008年10月6日月曜日
がってんさまさま
朝4時起床 弁当作りに取りかかる
ためしてガッテンのレシピを使って
唐揚げ・ヒレカツを作ってみる。
どちらも揚げ方に最大のポイントがある
①唐揚げ・・1分30秒揚げる→4分おく→1分揚げる
②ヒレカツ・・1分揚げる→1分おく→1分揚げる→5分おく
本当にこれで火が通るのだろうか。
実際やってみる。見事に火が通っており、肉が軟らかい
すばらしい。がってんさまさまである。
①②以外のメニューは
③チキン南蛮
④スパサラ
⑤卵焼き(これもがってんレシピ)
⑥グラタン
⑦ハンバーグ
昼食時間みんなでお弁当を囲みながら、
「自分がイメージしていた『運動会の雰囲気』にふさわしいものが作れたかな」
と感じた。家族もみんな満足していたようだ。
2008年10月4日土曜日
クロワッサン
今5時前、腹が減ってきた。
こんなとき、「リッチモンド」という言葉が頭に浮かぶ。
リッチモンドは鹿屋市にあるパン屋さんである。
朝6時から営業している。
昼過ぎには全品売り切れる。
そして、閉店という店である。
私の好物はクロワッサンサンドである。
クロワッサンといえば、クロワッサンを発明したのは、オーストリアウィーンのパン職人である。
1453年オスマントルコによるウィーン包囲
「明日はウィーン最後の日か。」
多くの市民が覚悟していた。
その中の一人のパン職人が、
オスマントルコのシンボル三日月をかたどったパンを作り、
将軍に献上した
その味に感激した将軍は、
次の日のウィーン侵略を中止したという。
ウィーンを救ったクロワッサン
今日は空腹に包囲された私を救ってもらおう。
さて、6時になったら出かけるか。
ちなみに、英語で三日月(形)をクレサント(crescent)という。
クロワッサンはフランス語である。
だから、正確に発音するときは、クフロワハッサ~ンといわねばならない。
というのは私の予想である。