2009年2月22日日曜日
神領(じんりょう)古墳群(大崎町)
横瀬古墳(大崎町)
岡崎古墳群(串良町)
唐仁古墳群(東串良町)②
唐仁古墳群(東串良町)①
塚崎古墳群(肝付町)
2009年2月19日木曜日
今日の夕食(ぶりの照り焼き)
以前、叔母からもらったぶりの切り身を冷凍庫の中から発見。子ども達が大好物なので、お好み焼きの予定を変更して、ぶりの照り焼きを作ることにする。なにか、いい調理法がないか、さがしたところ
やっぱりみつけた「ためしてガッテン」
①ぶりの身に小麦粉をまぶす。(ぶりは1切れ80~100g)
②フライパンを強火で1分間加熱する。
③よけいな小麦粉を払い落としたぶりの片面を強火で1分間焼く。
④裏面を中火で1分半焼く。
⑤たれ(醤油、酒、みりんそれぞれ大さじ2)を弱火で30秒絡める。
⑥火を止め、3分間置いておく。できあがり。
本当にこれで火が通るのか心配だったが、見事に仕上がっていた。ポイントはなんと言っても小麦粉をまぶすこと、身のぱさつきを抑えるために火を通す時間を短くした分、たれのしみこみの不十分さが心配される。その解決策としての小麦粉である。この小麦粉はたれの絡みをよくするだけでなく、ぶりの脂肪分が外に出てしまうことも防ぐという、一石二鳥の効果があるとのこと。食した子ども達、「身が柔らかくておいしい」またまたガッテンさまさまである。
やっぱりみつけた「ためしてガッテン」
①ぶりの身に小麦粉をまぶす。(ぶりは1切れ80~100g)
②フライパンを強火で1分間加熱する。
③よけいな小麦粉を払い落としたぶりの片面を強火で1分間焼く。
④裏面を中火で1分半焼く。
⑤たれ(醤油、酒、みりんそれぞれ大さじ2)を弱火で30秒絡める。
⑥火を止め、3分間置いておく。できあがり。
本当にこれで火が通るのか心配だったが、見事に仕上がっていた。ポイントはなんと言っても小麦粉をまぶすこと、身のぱさつきを抑えるために火を通す時間を短くした分、たれのしみこみの不十分さが心配される。その解決策としての小麦粉である。この小麦粉はたれの絡みをよくするだけでなく、ぶりの脂肪分が外に出てしまうことも防ぐという、一石二鳥の効果があるとのこと。食した子ども達、「身が柔らかくておいしい」またまたガッテンさまさまである。
英語トレーニング
方法は、「絶対音読法」数年前、ベストセラーになった「英語絶対音読」のトレーニング法である。
①まとまった文章の音声を聞く。
②音声に合わせて音読する。(1回)
③文章の意味を確かめる。
④テキストを見ながら音読する。(3回)
⑤音読しながらテキストを写す。(1文3回ずつ)写真上
⑥テキストを暗唱する。
⑦もう一度音声を聞く。
という手順。語学の練習は、音読・視写・暗唱である。
このトレーニングを行うためには、
まとまった英文とその音声が必要となる。私は、NHKラジオのビジネス英語を使っている。現代のアメリカ英語の使い回しを練習できるだけでなく、現代のアメリカ事情も知ることが出来、内容的にもおもしろい。。写真下は、そのテキストで、富士山ドットコムというサイトから購入した電子テキストである。1回のトレーニングに1時間半くらいかかるのでちょっと大変だが、いつまで続くかがんばってみよう。目標は3ヶ月である。
2009年2月18日水曜日
料理モード突入
2009年2月15日日曜日
唐芋ロンド
先月に続き、2回目の参加。今回のテーマは、「芋焼酎誕生秘話」。鹿児島大学で焼酎学の講座を鮫島教授。焼酎の歴史を中心とした講演。
①サツマイモは、酒に適しない作物である。
・収穫の季節性
・周年供給が困難
つまり、作れる季節が限られているということである。
・でん粉含量が低い(米75%、サツマイモ25%)
・蒸すと甘くなる(雑菌がつきやすい→腐りやすい)
・もろみの粘性が高い(サツマイモが多くの繊維質を含んでいる)
酒を造るには、原料に麹を入れることで、でん粉を分解し、分解されたでん粉を酵母を使って、アルコール発酵させる必要がある。この発酵の温度・期間が酒によって違う。清酒・ビールなどは、低温・長期間発酵させるし、反対にウィスキーは、高温・短期間(2~3日)発酵させる。このことで、もろみの腐敗を防ぐのである。しかし、なんと、原料が腐りやすいにもかかわらず、焼酎は、「高温・長期間」発酵で作られる。一番腐りやすい製法のような気がするが、その腐敗を防ぐのが、焼酎に使われる麹ある。
もともと泡盛に使われていた「黒麹」を使うことで、この腐敗の問題を克服した。なぜなら、この黒麹は、
一次もろみ生成過程で、クエン酸を生成するのである。クエン酸は、梅干しやレモンの酸味の主原料であり、強い殺菌効果を示す。この酸を使うことで腐敗を防いでいる。それに、焼酎用の「耐熱性・耐酸性」を持つ、焼酎酵母を用いることで、発酵させることで「高温・長期発酵」を可能にした。この製造法が確立したのが明治41年である。その後、大正7年、河内源一郎氏が、黒麹の中に白麹を発見。培養に成功した。大正8年には、それまで使われていた黄麹を使った焼酎製造は姿を消したという。
②黒麹と白麹は、基本的に色以外の違いはない。
全く同じ条件だと、黒麹を使った焼酎の方がサツマイモ独特の臭いが強くなるらしいが、もともと白麹が黒麹から生まれたものなので、それほどの違いはないらしい。つい最近までは、白麹を使っていることが多かったのは、製造過程で、黒麹から発する黒の胞子が作業に支障を来したためである。このごろ「黒麹」仕込みを売りにした焼酎のコマーシャルが多いが、これは、仕込み過程のオートメーションかが進み、人が直接作業しなくても済むようになったからとのこと。後は、「黒」の持つイメージの良さから
「黒麹」ブームがあるらしい。
③焼酎ブーム→焼酎の品質向上から
・米麹製造技術向上から、漬け物臭さが無くなった。
・さつまいもの品種・品質の向上(コガネセンガンを用いる。)で、芋の傷み臭が無くなった。
・茶色瓶につめることで、焼酎が日光にさらされることでもたらされる油臭(日光臭)が無くなった。
・昭和53年に、焼酎が空気に触れてできる酸化臭・にごりのメカニズムが解明され、対策がなされるようになった。
焼酎には、まだまだ可能性が秘められていることを実感した講座だった。
①サツマイモは、酒に適しない作物である。
・収穫の季節性
・周年供給が困難
つまり、作れる季節が限られているということである。
・でん粉含量が低い(米75%、サツマイモ25%)
・蒸すと甘くなる(雑菌がつきやすい→腐りやすい)
・もろみの粘性が高い(サツマイモが多くの繊維質を含んでいる)
酒を造るには、原料に麹を入れることで、でん粉を分解し、分解されたでん粉を酵母を使って、アルコール発酵させる必要がある。この発酵の温度・期間が酒によって違う。清酒・ビールなどは、低温・長期間発酵させるし、反対にウィスキーは、高温・短期間(2~3日)発酵させる。このことで、もろみの腐敗を防ぐのである。しかし、なんと、原料が腐りやすいにもかかわらず、焼酎は、「高温・長期間」発酵で作られる。一番腐りやすい製法のような気がするが、その腐敗を防ぐのが、焼酎に使われる麹ある。
もともと泡盛に使われていた「黒麹」を使うことで、この腐敗の問題を克服した。なぜなら、この黒麹は、
一次もろみ生成過程で、クエン酸を生成するのである。クエン酸は、梅干しやレモンの酸味の主原料であり、強い殺菌効果を示す。この酸を使うことで腐敗を防いでいる。それに、焼酎用の「耐熱性・耐酸性」を持つ、焼酎酵母を用いることで、発酵させることで「高温・長期発酵」を可能にした。この製造法が確立したのが明治41年である。その後、大正7年、河内源一郎氏が、黒麹の中に白麹を発見。培養に成功した。大正8年には、それまで使われていた黄麹を使った焼酎製造は姿を消したという。
②黒麹と白麹は、基本的に色以外の違いはない。
全く同じ条件だと、黒麹を使った焼酎の方がサツマイモ独特の臭いが強くなるらしいが、もともと白麹が黒麹から生まれたものなので、それほどの違いはないらしい。つい最近までは、白麹を使っていることが多かったのは、製造過程で、黒麹から発する黒の胞子が作業に支障を来したためである。このごろ「黒麹」仕込みを売りにした焼酎のコマーシャルが多いが、これは、仕込み過程のオートメーションかが進み、人が直接作業しなくても済むようになったからとのこと。後は、「黒」の持つイメージの良さから
「黒麹」ブームがあるらしい。
③焼酎ブーム→焼酎の品質向上から
・米麹製造技術向上から、漬け物臭さが無くなった。
・さつまいもの品種・品質の向上(コガネセンガンを用いる。)で、芋の傷み臭が無くなった。
・茶色瓶につめることで、焼酎が日光にさらされることでもたらされる油臭(日光臭)が無くなった。
・昭和53年に、焼酎が空気に触れてできる酸化臭・にごりのメカニズムが解明され、対策がなされるようになった。
焼酎には、まだまだ可能性が秘められていることを実感した講座だった。
NOVAレッスン(天気のこと)
天気に関する表現を学習した。ネイティブが普段どのようなセンテンスで天気を表現しているのかとても勉強になった。
It's scorching outside.(外は非常に暑い スコーチングはhotより暑いという意味)
Today is a scorcher.(外は非常に暑い スコーチャー)
It's nice and warm.(cool)
It's a bit chilly.(肌寒い)
It's a beautiful calm day.(穏やかな日)
It's a beautiful clear day.(すがすがしい日)
The wind was howling outside(嵐のような風)
It's very gray outside.(冬のどんより曇っている天気)
It's very gray and miserable outside.(冬の暗くて雨が降っている様子)
There is a nice breeze.(心地よい風)
ネイティブは、このような表現で様々な天気を表している。このまま覚えて使うのがよい。
It's scorching outside.(外は非常に暑い スコーチングはhotより暑いという意味)
Today is a scorcher.(外は非常に暑い スコーチャー)
It's nice and warm.(cool)
It's a bit chilly.(肌寒い)
It's a beautiful calm day.(穏やかな日)
It's a beautiful clear day.(すがすがしい日)
The wind was howling outside(嵐のような風)
It's very gray outside.(冬のどんより曇っている天気)
It's very gray and miserable outside.(冬の暗くて雨が降っている様子)
There is a nice breeze.(心地よい風)
ネイティブは、このような表現で様々な天気を表している。このまま覚えて使うのがよい。
読んだ本(天皇誕生)
これも、「週間ブックレビュー」で紹介された本。「日本書紀」の記述について、初代神武~27代継体
までの大王(正式にはこのころ「天皇」という称号は使われていなかった。)についてその実在性を検討したもの。著者は、初代~26代武烈までの大王については、日本書紀に記述されているような大王は存在していないと結論づけている。ほぼ全体が当時の政権(天武天皇)に都合よく作られた歴史物語であると言っていい。それも、オリジナルではなく、中国の歴史書等からの引用した部分が多々見られる
のである。以前、隼人文化研究会で、古代隼人の存在について、「日本書紀に記されているような存在としての「隼人」族なるものは存在せず、それは、中国の文献から引用して作り上げた物語のキャラクターでしかない。」という報告があったが、この本でもそれと同じような結論が出されている。ただ、隼人族なるものが全く架空のものではなく、当時の南九州にモデルとなった部族集団があったということも言われているのと同じように、初代から26代の大王の中には、中国の文献に出てくるものもおり、日本書紀のモデルとなった王は、いたことは確かなようである。
結局この「日本書紀」は、当時の政権が、日本という国(国名に「日本」という言葉を正式に使うことになったのは、701年大宝律令からである。また、前述したとおり、その「日本」を治める最高権力者を「天皇」と正式に呼び始めたのも、当時の「天武天皇」からである。)は、大唐帝国に匹敵するような国家であることを示すために作り上げた「歴史書」だったのである。
までの大王(正式にはこのころ「天皇」という称号は使われていなかった。)についてその実在性を検討したもの。著者は、初代~26代武烈までの大王については、日本書紀に記述されているような大王は存在していないと結論づけている。ほぼ全体が当時の政権(天武天皇)に都合よく作られた歴史物語であると言っていい。それも、オリジナルではなく、中国の歴史書等からの引用した部分が多々見られる
のである。以前、隼人文化研究会で、古代隼人の存在について、「日本書紀に記されているような存在としての「隼人」族なるものは存在せず、それは、中国の文献から引用して作り上げた物語のキャラクターでしかない。」という報告があったが、この本でもそれと同じような結論が出されている。ただ、隼人族なるものが全く架空のものではなく、当時の南九州にモデルとなった部族集団があったということも言われているのと同じように、初代から26代の大王の中には、中国の文献に出てくるものもおり、日本書紀のモデルとなった王は、いたことは確かなようである。
結局この「日本書紀」は、当時の政権が、日本という国(国名に「日本」という言葉を正式に使うことになったのは、701年大宝律令からである。また、前述したとおり、その「日本」を治める最高権力者を「天皇」と正式に呼び始めたのも、当時の「天武天皇」からである。)は、大唐帝国に匹敵するような国家であることを示すために作り上げた「歴史書」だったのである。
2009年2月11日水曜日
読んだ本(王政復古)
毎土曜にBS2で放映されている「週刊ブックレビュー」で紹介されてすぐに読むことを決めた。
新書なので700~800円程度で手にはいると思いきや、すでに絶版状態であり、アマゾン中古価格がなんと4000円ほどであった。県立図書館で借りることにする。
1853年ペリー来航から1867年王政復古の大号令までの流れを1867年を中心に詳述したものである。勉強になる事ばかりであったが、特に
①ペリー来航という事件の日本史における重要性(単なる鎖国→開国ということ以上に、ペリーが来なければ、明治維新も起こらなかったであろうというくらい大事件だったのだ。やはり「たった四杯で夜も寝られ」ないのは本当だったのだ。)
②大河ドラマ「篤姫」では、維新(革命)を達成するために2つの方法を対立的に描いていた。つまり、
大政奉還(平和的革命)と武力討幕である。薩摩藩もその2つの方法を巡って内部対立があり、小松は前者、大久保・西郷は後者の立場を取り、小松は最後まで武力衝突を避けるべく奔走したもののその願いかなわず、ついには鳥羽伏見の戦いに突入してしまうというストーリーになっていた。このドラマ以外でも小松(平和主義)、西郷・大久保(好戦)と対照的な認識を提示してあるものもあったらしい。しかし、著者は「それは誤解である。」という、小松・西郷・大久保は、最初から、大政奉還→武力討幕という戦略に基づいて協働していたのである。
が印象深かった。
新書なので700~800円程度で手にはいると思いきや、すでに絶版状態であり、アマゾン中古価格がなんと4000円ほどであった。県立図書館で借りることにする。
1853年ペリー来航から1867年王政復古の大号令までの流れを1867年を中心に詳述したものである。勉強になる事ばかりであったが、特に
①ペリー来航という事件の日本史における重要性(単なる鎖国→開国ということ以上に、ペリーが来なければ、明治維新も起こらなかったであろうというくらい大事件だったのだ。やはり「たった四杯で夜も寝られ」ないのは本当だったのだ。)
②大河ドラマ「篤姫」では、維新(革命)を達成するために2つの方法を対立的に描いていた。つまり、
大政奉還(平和的革命)と武力討幕である。薩摩藩もその2つの方法を巡って内部対立があり、小松は前者、大久保・西郷は後者の立場を取り、小松は最後まで武力衝突を避けるべく奔走したもののその願いかなわず、ついには鳥羽伏見の戦いに突入してしまうというストーリーになっていた。このドラマ以外でも小松(平和主義)、西郷・大久保(好戦)と対照的な認識を提示してあるものもあったらしい。しかし、著者は「それは誤解である。」という、小松・西郷・大久保は、最初から、大政奉還→武力討幕という戦略に基づいて協働していたのである。
が印象深かった。
2009年2月8日日曜日
島津講談会
昨日午後6時半より、都城市都城ステーションホテルで、「島津講談会」が開かれる。鹿児島に因んだ歴史物の講談3本と、食事のセットという催し物。いわば「歴史講談ディナーショー」といえるイベント。
講談を生で聴くのは初めてであった。迫力がある。1本目は旭堂南陽(きょくどうなんよう)さんの、「西南戦争」。なんと彼は8カ国語を話せるという。
2本目は旭堂小二三(こふみ)さんの「篤姫」。篤姫の幼少時代のエピソードを元にした演目。
講談を生で聴くのは初めてであった。迫力がある。1本目は旭堂南陽(きょくどうなんよう)さんの、「西南戦争」。なんと彼は8カ国語を話せるという。
2本目は旭堂小二三(こふみ)さんの「篤姫」。篤姫の幼少時代のエピソードを元にした演目。
とりは太平洋さんの「北郷忠相(ほんごうただすけ)」。都城島津氏は、初め「北郷」を名乗っていた。忠相はその8代目で、「都城島津氏中興の祖」と言われている。本演目は、その忠相初陣のエピソードを元にした太平洋さんのオリジナル。今回のイベントを企画した都城市観光協会が、地元作家の小説を太平洋さんに送り、講談に仕上げてもらったとのこと。太平洋さんは、講談師以外に、競馬関係の仕事(番組をもっているらしい)をしている。JRAには、都城出身の日本一の調教師がいて(橋口さん)、その関係もあり、今回の都城でのイベントが実現したとのこと。橋口さんからは、花が贈られていた。
どの講談もおもしろかったのだが、時間の関係で、これから盛り上がってくるという場面で、「後は、またお会いしたときに」と終わってしまったのが残念であった。
講談は非常にマイナーな興業で、専用の演芸場ももてないので、今回のようなイベントを企画してもらわないと、仕事が無いようである。練習場所を確保することの難しさや練習時のエピソードなど、この後の懇親会で聞かせてもらったが、笑えそうで笑えないものだった。講談界には、「つぎり」という言葉があるらしい。「つ」の着く数字「1つ~9つ」を超える数、10以上という意味。つまり、お客さんが10人を
超える状況を驚きを持って表現する言葉とのこと。それだけ、普段はお客が少ないのである。
ちなみに「講談社」という出版社があるが、この会社は、設立当初「講談」の内容を専門に出版していたことから、その名になったという。
講談後の懇親会
講談の後は懇親会。地鶏の刺身と椎茸の寒天寄せ。江戸時代末期、調所などの提案で、都城に寒天工場が造られたことに因んだメニュー。
メインの「島津鍋」直径1mの大鍋を横から見た図。ふたが持ち上がっているのは、まだ具が煮えていないため。ふたが完全に下がったら、食べ頃。
「さあ、これからいただきます。」十字に仕切られてできる、4つの部分のうち、具が多く見える部分は、水炊き、具が少ない部分は、しゃぶしゃぶを楽しむ。1鍋で約10人前
懇親会の中で、昨年11月に行われた「島津発祥祭り」実行委員会の方々といろいろ情報交換できた。講談師の太平洋さんは、地元の小学校を回って無料の講談会を開いているという。今年11月に開催予定の第2回島津発祥祭りには、再び太平洋さんたち講談師を招いての講演を開催するとのこと。
そのとき時間があれば、鹿児島の小学校でも子ども向けの演目構成の講談会を開いてくださるかも知れないとのこと。もし実現できれば、すばらしいことである。11月が楽しみである。
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