2008年10月11日土曜日

ハムスター生後9日目

10/2に生まれた7つ子のハムスター

ついにその1匹をカメラが捕らえた。

キャベツを食べているところ。

照国講演会

毎月第2土曜日照国神社で開かれる「照国講演会」

今年は、「照国公」こと、島津斉彬没後150年ということで

斉彬公にちなんだ講演会になっている。

今回のテーマは、「将軍継嗣問題と斉彬公」。

ここでいう将軍継嗣問題とは、篤姫の夫家定の次期将軍を

誰にするかということで、幕府を2分した争いになった問題をいう

斉彬は、老中阿部正弘、水戸藩水戸斉昭とともに、一橋慶喜を推す

対する紀州派は、井伊直弼を筆頭に紀伊藩徳川慶福(よしとみ)擁立を目論む

この問題に斉彬がどのような経緯をたどって深く関わっていくのか

というのが講演会の内容である。

講師は、安田山彦氏

肩書きは、「日本近世・近代史研究家」とある。

日通退社後、独自に研究している方である。

さて、内容であるが、

あまり予備知識のない私にとっては、

少々難しかった。

よって、部分的に理解できたところを思いつくままに記すことにする。

①斉彬は、その人柄・人脈をもって、当時の諸侯の中で中心的人物であった。

②水戸斉昭と斉彬は、当時の日本の状況を危機的なものと認識している点で共通した問題意識を持っていた。(大塩平八郎の乱などの内憂、アヘン戦争などの外患)

③老中阿部正弘と斉昭・斉彬は、協調してこの難局を乗り切ろうとした。幕政改革を実施しようとした。

④そのような動きに対抗してきたのが、井伊直弼を筆頭とする紀州派であった。

⑤井伊は、幕府以外の外様大名に幕府運営の主導権を奪われるのをおそれた。阿部への個人的恨みもあったようだ。

⑥将軍継嗣問題は、このような阿部・斉昭・斉彬派と、紀州派とのいわゆる「政争の具」であった。

⑦結果は、阿部の死、井伊の大老就任後紀伊派の勝利となる。

⑧ちなみに、大河ドラマでは、篤姫の入輿が将軍継嗣工作の一環として行われたように描かれているが、これは、間違いである。篤姫と家定の婚礼は、将軍家からの申し出があったからであり、斉彬は、それに従っただけである。もちろん、入輿後、篤姫に「次期将軍を慶喜にするように家定に働きかける」要請があったのは、事実である。しかし、当時の大奥は、大半が紀州派であり、なかなかそのような働きかけがしにくかったようである。

2008年10月7日火曜日

小旅行


 
新高(左)と新興
10/6は運動会の振り替え休日、家族に実家の母姉を加え、総勢7名で小旅行に出かける。

目的は、「梨狩り」と道の駅末吉の「黒糖丸ボーロ」

まず、長女が近くの平和公園に行きたいと懇願するので、仕方なく立ち寄る。

月曜日ということもありほとんど人影無し。

草スキーを少々楽しんだ後、妻が発見したどんぐりひろいに親子4人熱中。

その後梨狩りに出発

目的地は、曽於市月野の上野観光農園http://www4.synapse.ne.jp/uenonouen/

1時過ぎ着。ここも客は我が家族のみ。

接待してくれた女性が「まず試食してください。」出された梨のうまいこと、うまいこと

出された梨は2種類 新興(しんこう)と新高(にいたか)

新高は、600g近くあり、果肉が柔らかく甘みが強い。新興は、小振りだが、酸味も適度にあり、歯触りがしゃきしゃきしている。どちらもそれぞれおいしい。

試食の後さっそく摘果に入る。新高を6こ、新興を2こ

一番梨狩り体験をしてほしかった子ども達といえば

梨園で飼っている猫に夢中。ほとんど梨狩りに興味示さず。

11月からは、愛宕梨も出るとのこと、

母は、「今年の歳暮はこれにしよう。」

と5個入り3300円の箱詰めを10セットばかり注文していた。

 2時過ぎに梨園を後にし、次の目的地末吉道の駅に向かう。

目的は昼食を取ることと、「黒砂糖丸ボーロ」を手に入れること。

3時過ぎについて、なななんと レストランは3時までで閉店。

黒糖丸ボーロは売り切れていた。がっかり。

しかたなく総菜を購入して車中にて昼食

しかし、地鶏の炭火焼きが非常にうまく、追加購入。そのほか手作りパンやおこわなど

どれも美味であった。

4時半くらいから母姉を送るために高速から鹿児島へ向かう。

最初、実家まで行くつもりだったが、

母の「フェリー代がもったいなか。フェリー乗り場(桜島袴腰側)まで送らんね」

と言われ、国分インターで高速を降りる。

そのまま、福山経由で桜島に向かう。

途中、トイレ休憩を兼ね、道の駅たるみずに寄る。

トイレの後、足湯を楽しむ。

5時45分袴腰着。母姉にお礼を言い別れる。帰宅の途へ

7時帰宅

参加予定の講演会・イベント

①10/11 午前10時30分~12時 照国講演会「将軍継嗣-島津斉彬公と諸侯」(照国神社)
②10/11 午後12時30分~17時 隼人文化研究会(黎明館)
③10/18 午前10時~12時「サツマイズムの根本を探る~郷土の先人達の知恵に学ぶ~」(鹿児島市のNPO法人ネイチャリングプロジェクト事務局・・天文館アーケードめがねのヨネザワビル3階)
④10/21 午後18時30分~20時 黛まどか講演会「杉田久女の魅力」(市民文化ホール第2) 

2008年10月6日月曜日

がってんさまさま

 昨日は、長女の運動会
朝4時起床 弁当作りに取りかかる
ためしてガッテンのレシピを使って
唐揚げ・ヒレカツを作ってみる。
どちらも揚げ方に最大のポイントがある
①唐揚げ・・1分30秒揚げる→4分おく→1分揚げる
②ヒレカツ・・1分揚げる→1分おく→1分揚げる→5分おく
本当にこれで火が通るのだろうか。
実際やってみる。見事に火が通っており、肉が軟らかい
すばらしい。がってんさまさまである。
①②以外のメニューは
③チキン南蛮
④スパサラ
⑤卵焼き(これもがってんレシピ)
⑥グラタン
⑦ハンバーグ
昼食時間みんなでお弁当を囲みながら、
「自分がイメージしていた『運動会の雰囲気』にふさわしいものが作れたかな」
と感じた。家族もみんな満足していたようだ。

2008年10月4日土曜日

クロワッサンサンド


行ってきました。
リッチモンド
クロワッサンサンド
ありました。
具は、見えているウィンナーの他に
卵・レタス・キャベツ
いただきま~す。
ちょっとおフランス風に
いたはだきまはあ~す。
これは絶対違う。

クロワッサン

朝3時に目が覚めた。
今5時前、腹が減ってきた。
こんなとき、「リッチモンド」という言葉が頭に浮かぶ。
リッチモンドは鹿屋市にあるパン屋さんである。
朝6時から営業している。
昼過ぎには全品売り切れる。
そして、閉店という店である。
私の好物はクロワッサンサンドである。
クロワッサンといえば、クロワッサンを発明したのは、オーストリアウィーンのパン職人である。
1453年オスマントルコによるウィーン包囲
「明日はウィーン最後の日か。」
多くの市民が覚悟していた。
その中の一人のパン職人が、
オスマントルコのシンボル三日月をかたどったパンを作り、
将軍に献上した
その味に感激した将軍は、
次の日のウィーン侵略を中止したという。
ウィーンを救ったクロワッサン
今日は空腹に包囲された私を救ってもらおう。
さて、6時になったら出かけるか。
ちなみに、英語で三日月(形)をクレサント(crescent)という。
クロワッサンはフランス語である。
だから、正確に発音するときは、クフロワハッサ~ンといわねばならない。
というのは私の予想である。